コロナ禍に思うこと

 新型コロナウイルス感染症の影響ははかり知れず、今後も予断を許しません。
 皆様、いかがお過ごしでしょうか。
 今更ながら、コロナ禍に思うことを少し書こうと思います。

 新しい生活という言葉をよく耳にしました。現在はもう馴染んでいるといえるかもしれません。
 また同時に、“コロナに勝つor負けるな”とか、“みんなで乗り越えよう、頑張ろう”などという言葉も耳にしました。
 個人的には文字として違和感がありますが、しかしそういった言葉の背景は何となく理解はできます。

 ただそのような中で、“みんな頑張っている、苦しいのは自分だけじゃない”というような思考が生まれやすいのではないかとも考えています。
 それは「いやだ」とか「やりたくない」「きつい」「苦しい」という一見ネガティブに聞こえる言葉、感情に、社会のありようが蓋をさせているといえるかもしれません。
 一方で、本来そういう言葉を聞いてくれる人や業種もこの現状に疲弊し、別の部分に力を注がなければならない現実があります。

 コロナ禍であっても、そうでなくても、悩んだり不安を抱えることは変わらず起こりえます。
 そしてそういった悩みや不安は、この現状であっても必ずしもコロナに起因するものだけではありません。

 しかしどこかで“今はコロナのことが重要で、それ以外のことは少し我慢”と、まるで社会が私にメッセージを送っているようにも感じます。
 そして“みんな頑張っている”という言葉が、さらに私を追い詰めるような気がしているのです。

 みんな頑張っている。みんな我慢している。
 だとしても間違いなく、あなたは頑張っている。あなたは我慢している。

 あなたのその頑張りや我慢に、しっかりと目を向けることのできる社会であってほしい。
 そのために自分に何ができるのかを、考えます。

古豊 慶彦

2020年09月15日